創業者の念い – Nikoniko Home Care

創業者の念(おも)い

大嫌いだった看護が一生のライフワークに

私は看護大学の4年生(21歳)の時、教授に将来の夢を聞かれ「年をとったとき、生きていて良かったと思って死にたい」と答えたことを鮮明に覚えている。それはきっとその時教授にたくさん笑われたからかもしれないが、それから20年経つ今も、その気持ちは変わっていない。

人は将来何になりたいとかという希望があるものだが、私は漠然と幸せに死にたいと思っていた。そして何が自分を幸せにするかはいまだに良くわかっていない。ごく普通の家に育った私はごく普通の道を進むものと思っていた。つまり私の両親と同じ様に、いづれは主婦になり、子供を育て、だんなさんの帰りを待つ、普通の家庭だ。

しかし、私は全く逆の道を歩んでいる。カナダで正看護師になり、仕事を続けている。そうするとカナダの看護師としてなんとなく退職を待つよりも、今自分にできることをすることが良いと思えた。7年間のカナダの病院経験を通して思うことは、みんな病気、老い、死への意識が低すぎる。

長く同じ病棟に勤めると、同じ患者さんが定期的に戻ってくる。大体が同じ理由で戻ってくる。ある時おじいさんに3ヶ月前に入院していましたね?と聞くと「そう」とうなずく。「何故また病院に戻ってきたのですか」と聞くと、「家で1人で暮らしている時に転んでしまった」という。「お子さんはいませんでしたか?」と聞くと、「子供たちは忙しくてめったに会わない」という。もちろん介護士を家で雇うお金など無い。そんな独り身の老人でも一旦病院で症状が安定すると、直ぐに退院することを強いられる。もちろん、誰も待っていない家に帰るわけなので、いつまで自立して生活していられるかはたかがしれている。そこが私のターニングポイントだった。このように3ヶ月毎に戻ってくるお年寄りの看護を病院の中だけでするのではなく、自立していきいきと生きる老人を増やすことに自分の力を使いたいと考えた。

私のこのカナダでの挑戦は3つである。

1. 「医療も介護も無料」と思ってる人々にそうでないことを伝えること。
2. 自分で人生をコントロールする姿勢を持つこと。
3. 型にはまらないこと

そうでなければ、きっとここでは老人は寂しいまま、病院にも居れず、家では1人、お金もないから最低の生活を過ごすことになってしまう。本当に人生の最後を締めくくるのに、そんな終わり方で良いのであろうか。

人は必ず老いて、何時か亡くなる。その日までいきいきと生きれるよう、自分を鍛えておくことが大事である。そうすれば、「生きてて良かった」と言って死ねるような気がする。明日の私は今日の日の選択の結果である。毎日自分で人生を選んでいるならば、もっと選択に責任を持たなくてはいけない。


Yuko Abeyama

Founder/ Director

東京都出身。大学医学部保健衛生学科看護学専攻卒業後武蔵野日赤病院内科で看護師とし働く。その後カナダ、ケベックのラバール大学教育学修士号終了後、カンボジア国で公衆衛生隊員として村で保健指導。日本の大学で国際地域看護リサーチを経て、バンクーバーに16年前に移住。カナダのRNとして急性期病院にて内科外科看護に7年間従事。同時に地域での緩和ケア、外科的治療、介護士のスーパーバイザーとして経験を積むNikoniko Health Inc.代表として、「カナダに日本の真心介護と」理想を掲げ実践中。カナダのElder Planning Counselor取得し、カナダの老人スペシャリスト。